”幸せ”と言う定義

日記

昔良くしていただいた親戚が亡くなりました。
遠方でなかなか会う事はなかったのですが、夏休みに遊びに行くと一緒に所属している乗馬クラブに連れて行ってくれて、馬に乗せてくれたり、私の絵を気に入って飾ってくれていたり、とても楽しい思い出がたくさんあります。

とても真面目で誠実、人として尊敬出来るすごく立派で素敵な方だったのですが、最後がなんだか酷くいたたまれない状態で亡くなってしまい、なんと言うか『幸せとはなんなのか』とあれから考えてます。

年始に『毎日最高に楽しく生きる!』と目標にしておいてなんなのですが(↑上記記事)、そもそも幸せって求めるものじゃないのでは…?と。
自分が追い求めていた”幸せ”そのものが幻だったのでは?
そもそも人生において”幸せに”ならなければいけない”って思っていたのが、間違っていたのではないかと、色々揺らいでいます。

私もあまり人生が順調ではなかったタイプの人間なので、幸せになりたくてなりたくてしょうがなくて、その為に努力もしてきたのですが。
なのに、なんとなく自分の中で『もう幸せにならなくていい』と言う想いが出てきていて、なんだか困惑してます…。(ただし”幸せでなくていい=不幸で良い”ではない)

 

自分が求めていた幸せってなんだ??

”これさえあれば自分は幸せになれる”
”これがないから自分は幸せではない”

そう思っていたものが、信じていたものが、ガラガラ音を立てて崩れ落ちる感触に見舞われてます。

 

もしかして、私が必死に求めていたものは虚ろなもの・ただの虚構だったのではないか?
なんか自分にとって『幸せになる』より大事な事がある気がする。
そもそも人生の目標を『幸せになる』にしている事自体が何か間違えだった気すらする。
もうそこから間違っていた。やはり今は『幸せにならなくていい』としか言えない。
最初から幸せを求める必要など、幸せになる必要などなかったんだ、と。
今までの私は、”幸せ”に憧れていただけかも知れません。でももう、憧れるのはもう止めるべき時が来たのか。(大谷選手はガチで名言過ぎる…)

ある意味、もう一つの目標に決めた『流れに身を任せる』は正しかったんだと思います。
幸せを求める必要が無くなったと気付いた時、すごく肩の力が抜けた。手放せた、と言うのが正しい感覚かも知れません。
気持ちの良い無力感。後はもう、流れに任せるだけ。”流される”ではなく”流れる”。

幸せに関連性など何も無かった。
そして幸せになりたいのなら、幸せはもうある。
それはやせ我慢でなどではなくて、不足を感じても今あるもので満足しろと言う意味でもなくて。

言葉通り、”今すぐ幸せ”になれば良かったんだ。ただそれだけだったんだ。

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